日々の、シ

2009年07月28日 10:17


 まず「」たちは一様に、物への執着がなく、そのくせ力もないのに人への思いやりや優しさが目立ち、生存競争の中では何をやっても敗者となり、純粋で美しいものに憧れながら、愛欲や酒に醜くおぼれ、死を見つめているわりに、異常に生に執着したりしている。
――青木新門・著『納棺夫日記』から、勝手に引用

 本文では、「」にはとある人たちを表す一般名詞が入る。まあ、著者のひとりの見方でしかないけれどもね。知りたければ、読むか尋ねるかしてくれたらいいのだけれども、昨夜、この箇所を読んで私はちょっと本から目を上げて、ふ、と笑った。それからちょっと、泣きたくなった。



 その朝玄関を出たら、ガレージのコンクリートの地面で蝉が腹を見せて乾いていた。そして進んで数メートル先に、空蝉が雨に打たれて濡れていた。
 どくん、とした。夏による殺しの現場だ、と思った。私はその目撃者として、今もまだ生きている、

* 

 数日間日記を書かなかった。その間に、数編、書いたり直したりしていた、











































 蝉としゃれこうべの朝



目を開けなくとも蝉が鳴いている
目を開けなくともあなたの部屋にわたしがいる
けれど、目を開けて
眠るこの部屋のあなたを確かめる

蝉が蝉が鳴いている、ああ、夏なのだ
翅の摩擦熱が夏に加わって、灼熱、だ
その中、蝉の蝉の轟音に圧されて
しん
と眠るあなたに、ふと、しゃれこうべを見る

蝉と夏が濃く濃く高くなるにつれ
しゃれこうべはカルシウムを白く枯らせて、しん、と眠る
その歯の配列で、しん、と白く無機質に笑っている
それでいてその眼窩で黒く黒く深く悲しんでいる
ひどく白くてひどく黒いあなたに、わたしはつられ
しん、と泣き笑う

ああ、死ぬのだね、あなた、
そしてわたしももうすぐ死ぬのだね、どうしようもないね、
けれども、それから百年後に、
私たちは百年前のひとつの夜のことを覚え合えているかしら、
けれどそれよりもいまのこと、今、今、今あなたが好きなん、

目を開けなくともあなたがわたしがここにいる
そのことを確かめる為にあなたにくちびるをつけてこのまま
ああぬくい皮膚だ、そのどこかにくちびるをつけてこのまま
ねえ、百年以上眠りたい
ひとつの朝







 果樹園


夜の電車の窓の中の無数の顔色から、ぶらり、色がくだり
腸まで青ざめたわたしたちはひとりでに、ぶらり、垂れるけれど
さびしくないよ。
うまれたままのやわらかさを患い続ける腕と胴体の林の中
夏のわたしたちはいつも、ぶら、ぶら、と
いつどこで誰と別れたのかが、ちゃんと、曖昧なのだから







 魚類の夜


雨の夜のアスファルトでは
光も熱帯魚みたいに濡れている
迫り来てよぎり過ぎ去り遠退く
赤い、黄色い、無数の鱗が目に入って
濡れるしかなかった視線が水性インクとなって
雨の夜に、明るい水族館を描いてゆく
ばらばら降り注いでは砕け跳ね散らばる
青い魚群と黒い魚影の雨足が強くなれば
ひとり分の足音さえなくなって
ああ、水族館には誰ひとりいない
きっとわたしも一匹の
明るい熱帯魚になれたのだ
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